視点(天理時報2018.6.10より転載) - 天理教青年会
心を澄ます毎日を

天理教青年会では、 基本方針「心を澄ます毎日を。」を掲げています。 ほこりの心遣いを減らし、誠を積み重ねていくー。 そんな日常を通して、かしもの・かりものの教えを治め、 心を澄ましていきます。

視点(天理時報2018.6.10より転載)

 

“話の理”に乗って神は働く

 
天理時報 第4575号(2018年6月10日)より転載
 
視点
 

6月に入り、天理教青年会が提唱する「全世界一斉布教月間」が始まった。
 
これは、今年創立100周年を迎えた青年会が、「初参拝でおたすけの連鎖を!」を合言葉に、布教活動に一層の拍車を掛けようと打ち出したもので、現在、各直属分会、教区青年会、海外青年会において活発な活動が展開されている。
 
 
青年会では、布教面の活動目標として「初参拝を意識した胸から胸へのにをいがけ」を掲げている。そして、求道面においては「親孝行、夫婦仲良く、陽気ぐらしの実践」とともに、「教理を学び、お話を取り次ぐ力を身につける」ことに力を入れている。
 
有志会員による教理勉強会が行われたり、若手の教会長や、布教所長らが「お話会」を自発的に開いたりと、求道面に取り組む気運も高まっている。
 
この「お話を取り次ぐ」ということについて、布教現場で、どのような話をするのかということを、原典などにたずねたい。
 
 

梅谷四郎兵衛先生(船場大教会初代会長)が、教祖からお聞かせいただいた、次のような話がある。

「身の内と八つの埃とを話し、そして、懺悔の道は我が身の懺悔の話をするようにしたら、一寸も当たり障りはありません」
「自分の懺悔の道話したらああいやいや私所もいろいろ間違いして来た事がありますと、向こうから懺悔してくる。
(中略)私は斯様々々してきたと自分の事から言えと仰言る」
 
『静かなる炎の人』道友社刊

 

「かしもの・かりもの」と「ほこり」の話を説くとともに、自身の「さんげ」話をするようにと言われている。相手に、こんな心づかいをしていないかと諭すのではない。自分のことを話したら、相手が自分から「さんげ」してくれるようになる、というのである。
 
このことは、「おふでさき」に、


 
「これをはなあらハれだすとゆうのもな めゑめゑのくちでみなゆいかける」
 
「どのような事てもわがみくちいより ゆう事ならばぜひハあるまい」
 
「これからハめゑめゑになにもゆハいでも をやが入りこみゆうてかゝるで」

 

(十四号69・70・71)

 

 
と記されている。
また、「おさしづ」では、


「今までは、わしはこんな心で居た、俺はこんな心使うて来た、と皆んなめんめんの心通り、言わしてみせる。神の自由自在、よう聞き分け聞き分け」

 

(明治20年4月3日)
 

 
と諭されている。
 

相手が「ほこり」の心を自ら「さんげ」し告白するように、親神様が働かれる。そうすることで、心を澄ますと教えられているのである。
 
「自分のさんげ話」とは、言葉を換えると、「自分のたすけられたときの話」ということになるのではないか。「自分のたすけられたときの話」というと、病気や事情のもつれをおたすけいただいたときの特別な経験を考えてしまいがちである。
 
しかし、「たすけられた話」の意味を、もう少し広く捉えれば、「心の眼が開かれた話」や「自らの心が改まった話」と解釈することができよう。
 
 
私たちは信仰生活を進める中で、いままで当然と思っていたことがそうではなかったと気づかされることや、日々、の暮らしの中にある親神様のご守護や教祖のお導きにあらためて感動することがある。
 
親神様は、「かしもの・かりもの」のご恩とともに、そうした自らの生活・考え方が転換したときの話をするようにと求めておられるのではないか。その“話の理”に乗って親神様はお働きくだされ、相手の心を澄ましてくださるのである。
 
 
道の歴史は、草創期から現在に至るまで、この“たすけられた喜び”が連鎖し、伝播することによって展開してきた。
 
日常生活にあるご守護に積極的に目を向け、感じた喜びを周囲へ伝えていけるよう、お互いに日ごろから心がけたいものである。

(昭)
 
 
天理時報 〜陽気ぐらしの“こころの新聞”〜
 

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