『笑ってごらん』(加藤元一郎著・天理青年教程41号)10/25より発売開始!!

天理教青年会から新刊発売決定!!
 
『大望』平成26年4月号から平成29年3月号まで連載いただいた仙臺大教会長・加藤元一郎先生の「鳥の眼と虫の眼」を、このたび「天理青年教程第41号」として出版させていただきます。
 
内容は本編36回分のほか、過去に教内誌に掲載された加藤先生の寄稿を付録として載せています。
 
発刊に際し、「笑ってごらん」を試し読みとして、WEBで見られるようにしています。
 
この機にぜひお買い求めください!!
 


 
 

笑ってごらん
〜vol.1〜

 
 春が近づくと、思い出すことがある。
 
 今から二十年前の春、生後四カ月の娘が突然の病で入院した。刺した点滴針が外れないように腕を包帯で巻かれ、弱々しく泣く姿が私たち夫婦の心を締め付けた。家内は娘の小さな額をなでながら「ごめんね、痛い思いをさせて」と泣いた。頭の中は「どうして」と「治らなかったら」が駆け巡り、私たち夫婦は、正直、かなり落ち込んだ。
 
 病室には家内が付き添った。私も勤務を終えて、夜、顔を出す日が続いた。
 
 娘の病室は二人部屋で、隣のベッドには中学三年生の女の子がいた。彼女は血液の病気を抱えていた。それは難病だった。しかし彼女はふさぎ込む様子もなく、それどころか同じ病棟の子供たちにフェルト布でマスコット人形を作ってあげたり、元気のない子には冗談を言って笑わせていた。また、つらい治療の後にぐったりと横になるときもあったが、看護師さんが熱を測ってくれたり薬を持って来ると、「ありがとう」とにこっと笑って応えた。その明るさに、私たちはいつしか励まされるようになった。
 
 ある夜、「どう、元気?」と、彼女の母親が病室にやって来た。初めて会うが、優しい目元が母娘でよく似ている。彼女はいかにも嬉しそうに「待ってたんだから」とベッドから起き上がった。聞くと、彼女の家は教会で遠く離れた所にあり、それに幼い弟と妹がいるので、病院へ来るのは週末だけで、土曜の夜に来て日曜には帰ってしまうという。
 
 お互いの挨拶を済ませると、そろそろ消灯の時間が近づいてきたので、「おやすみなさい」とベッド間を仕切るカーテンを閉めた。
 
 消灯してしばらくすると、驚くことがあった。カーテンの向こうからすすり泣く声が聞こえてきたのである。それは隣のベッドの彼女だった。
 
「どうして私は病気になったの。怖いよ、お母さん。寂しいよ」
 
 すすり泣きがしゃくりあげる声に変わっていく。お母さんは「うん、うん、わかるよ」となだめる。それは、しばらく続いた。ひとしきり泣いたからなのか、やがて泣き声が小さくなっていく。すると、お母さんは囁(ささや)くように言った。
 
 
「お母さんもね、夜、布団に入って暗い天井を見るとね、一人病室にいるあなたのことを思って、いつも泣いちゃうの。つらいのはお母さんも一緒だよ。でもお母さん、思うの。他の病室には、あなたよりもっとつらい思いをしている子がたくさんいる。寝たきりで動けない子、顔を歪ませて痛みを堪えている子、みんな、がんばってるなって。だから、今のあなたを喜ばなきゃって。つらいときに喜ぶなんて難しいけど、喜べることを喜ぶのは誰にでもできる。どんなときでも喜べるようになろうね」
 
 
 盗み聞きしているようで気が引けたが、普段、人一倍明るい彼女の泣き声に戸惑い、カーテン越しから聞こえる言葉に心を射られた。家内も閉じた瞼から涙を流し、じっと聞いていた。
 
 もう彼女の泣き声は聞こえなくなった。お母さんは明るい声で言った。
 
 
「自分を可哀想だと思っちゃだめよ。それ以上に有難いことがいっぱいある。あなたは病気だけど、人に喜んでもらうことができるじゃない。あなたの作ったお人形をみんな喜んでくれるでしょ。親神様が、人を喜ばせる力をあなたにも与えてくださってる。お父さん、お母さんと一生懸命に喜ぼうね。もっと強くなろうね。教祖(おやさま)が見てくださっているんだから大丈夫。さあ、笑ってごらん。喜んだ分だけ、幸せになれるんだよ」
 
 
 その一言一言は娘を諭しているようで、必死に自分に言い聞かせているようだった。
 
 

 
 
 翌日、二人はベッドの上に座って、「誰にあげようかな」と一緒にマスコット人形を作って、互いにケラケラと笑いながらふざけ合っていた。
 
 日曜の夜、「また来週ね」と帰るお母さんに、彼女は笑顔で手を振った。母親がいない月曜から土曜の夕方まで、彼女はいつものように「ありがとう」と明るく答え、冗談を言ってみんなを笑わせる。だが土曜の夜、お母さんが来ると、「怖いよ、さびしいよ」とカーテンの向こうですすり泣く。そしてお母さんが優しい声で諭す。私たちがいた数週間、その繰り返しであった。
 
 家内が、眠るわが子の顔を見ながら言った。
 
 
「私、悲しさに負けて喜びが見えなくなっていた。それをあの娘とお母さんが教えてくれた。病気になった今でも、親神様は私たちの周りに喜べることをたくさん見せてくださっている。その有難さを忘れていたような気がする」
 
 
 不都合なこと、嫌なことがあったら喜べないものである。しかし、それも親神様がたすけたいとの親心でお働きくださり、大難を小難に導いてくださった結果と思えばこそ、わずかながらでも喜びを見つけられることを気付かされた。
 
 この喜びは親神様を信じていないと生まれない。信じるからこそ親心を感じ、喜べないことの中に喜びを見つけることができる。喜べないことを喜ぶ。それは、信仰の喜びである。
 
 娘が退院する日、彼女は小さなウサギのマスコット人形を「退院のお祝いです」と、いつもの元気な笑顔でプレゼントしてくれた。
 
 数年後、そのお母さんとおぢばでばったり会った。彼女は、あのときから二年後に出直したという。「写真のあの子はいつも笑っているんです。短い人生だったけど、いろんな人たちに大事にされて、あの子には幸せな十七年間でした。私もあの子の母親で幸せです」と、ぽろりと涙をこぼしながら笑顔で言った。
 
 笑顔と涙は背中合わせのときもある。だからこそ笑顔は尊く、人の心を温める力がある。
 
 春が近づくと、あの子の笑顔とともに思い出す。
 
 
「笑ってごらん。喜んだ分だけ幸せになれるんだよ」
 
 

かとうげんいちろう
天理教仙臺大教会長

 

天理青年教程41号「笑ってごらん」は、青年会本部もしくは道友社の書店にてお買い求めください。
 

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